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No.200 育児板・泣いた話 より

859 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/08/26 10:10 ID:MfE2AQOt
大学を卒業してすぐ結婚した両親が
私を生み育てたアパート(?)は四畳半一間だった。
学生のころ小旅行をして取り壊す寸前のアパートを訪ねた
おおやさんが掃除をして懐かしそうにまっていてくれた
共同のトイレ、玄関、炊事場、廊下・・薄い引き戸一つで隔てられた両親の住まい
一歩入って涙が止まらなかった・・
こんな狭いところでお母さんは赤ちゃんを育て上げたんだ
おおやさんが廊下の雑巾がけをする後をわたしはうれしそうにはいはい
してついていったらしい。そのときだけ赤ちゃんに許したろうかのはいはいだったそう。
ミシンおくと寝るのがやっと。寝るときちゃぶ台はもちろんかたづける。
「ふたりとも、わかくて、きれいだった・・きれいって言うのは純粋
って言う意味ね。」っておおやさんがいってくれた
湯沸しきもエアコンも電子レンジもないとこでおかあさん
手縫いの服で、あたしを可愛くしててくれた・・ありがと。
七五三の時着物の写真じゃないからって文句言ってごめんね。
てづくりの臙脂色のツーピース、時代を超えてすごくおしゃれだよ・・

862 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/08/26 23:41 ID:kZ7u39eq
「嗚咽」スレに書こうかと思ったが、子育てにも関係あると思ったので
書き込ませてください。(長文でスマソ。。。)

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私が17歳の時、母が死んだ。

当時、両親と米国に住んでいた私は夏休み、日本に一時帰国した。
久しぶりの日本を父方の祖母宅で過ごしていたが、
ある夜の晩、おそろしい夢を見た。
それは、台所で料理をしている母の首を
私が日本刀で切り落としてしまう夢だった。
転がった母の首を見て、ガタガタと震えながら
「米国を出発する日も、結局ケンカして別れたな〜」と思っていると、
「○○!起きなさい!」と私を揺り動かす叔母の声で目が覚めた。

起きると、叔父達の部屋だけに明かりがついていて
叔父が父からの電話を対応していた。
断片的に聞こえてくる「入院・・・」「脳死・・・」「原因不明の出血・・・」
という言葉。
次の日の朝、名古屋で姉と落ち合った後、
成田から米国へ飛んだ、らしい。(殆ど記憶が無く、
姉とも殆ど話さなかった気がする)
唯一、我々姉弟のチケット等を手配して頂いた父の同僚の方の目が
真っ赤だったことだけは覚えている。

米国に着き、病院に直行し、
思ったより元気そうな父に案内された病室には
麻酔で顔がパンパンにはれ上がり、人工呼吸装置が取り付けられた
母がベッドに横たわっていた。
原因不明の内臓出血、それに伴う脳機能及び自発呼吸の停止。
人工呼吸装置と絶え間ない輸血によって、身体の小さい母は懸命に生きていた。
でも、出血は止まらず、自発呼吸も始まらない為、
装置を外し、40代で母は静かに息を引き取った。

病院に着いてから、父の「手を握ってあげて」という言葉に促され、
私と姉はずっと母の手を握っていた。熱があるせいか、
非常に暖かかった。
「この手に育てられたんだ。守られてたんだ」と思った瞬間、
涙が止まらなくなった。泣きすぎて立てなかったのは、初めてだった。
呼吸困難になりそうだった。

863 名前:862の続き 投稿日:02/08/26 23:43 ID:kZ7u39eq
教育ママだった母に反抗し続けたが、
結果的には母が求めていたレベルの大学、会社に入った。
「ママが生きてたら、喜んだだろうね」と父や姉が言うたびに
「そんなもんかな」と思っていた。
そんな自分も親になった。ちっちゃい男の子が生まれてきた。
赤ちゃんの頃の私と同じ顔をして生まれてきた。
「この子の教育をどうするか」、「自分は何をしてあげられるのか」、
自分のこと以上に真剣に考えていた時、
一番意見を聞きたい人がもういないことに気付いた。

自分の成長を誰よりも喜び、誰よりも気にかけ、
人生の大半を費やしてくれた母。
そんな母に孫を抱っこして欲しかった。
「あんたはこんな子だったのよ」という話をして欲しかった。
「生んでくれてありがとう」って言いたかった。

子育て中のお母さん達、本当に大変だと思うけど
がんばってください。
自分の信念を貫いてください。
いつか子供にも通じるはずです。

867 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/09/04 21:59 ID:IY7GSXiz
我が家は4歳と2歳の男の子ふたり。
弟は自閉症で、週に数回通所施設を利用している。
今日の夕方、兄弟で社宅の公園で遊んでいたら、小学生くらいの子が
「お前の弟、○○園に行ってんだろ。あそこはバカが行くようちえんだって
ママが言ってた。超恥ずかしいのー」とからかった。
私は一瞬頭の中が真っ白になったけど、上の子は涼しい顔で、
「はずかしいっていうのはね、小さい子をいじめたり、ごはんをそまつにしたり
うそをついたりすることなの。○○園でがんばるのは、はずかしくないの」
と返した。

ゴメン。母は泣きそうになった。
ずっと仲良し兄弟でいてね。

883 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/09/07 09:49 ID:EKDBmqAC
育児とはチョト関係ないかもしれないけど、、、、、、
私の母が去年他界しました。
昔から働きづめでおばあちゃんに育てられたような私。
幼稚園や学校での母親と一緒の行事に、お母さんの姿はなかった。

私の結婚が決まった頃、母は定年をむかえていた。
「あんたには、寂しい思いをさせとったし、あんたの孫はよう可愛がって
やりたいわ。おばあちゃん子にしてやるわ。」
しかし、そんな母の期待をよそに、なかなか妊娠出来ずに病院に通う日々が
5年続いた。丁度その頃、母が持病で通っていた病院から電話が入った。
「先日定期検診したのですが、、、胃の方にガンが見受けられます。」
すぐに手術をしたが医者の判断はあと半年という事だった。
「私もしかしてガン?」
母の問いかけに「そんな訳ないやん」と、必死に笑って答えた。
病院の帰りの車の中でいつも、大泣きしながら帰った。
そんな中、私が妊娠しているのがわかった。
母も、偉く喜んで、医者も驚くほど元気になった。
お腹が8ヶ月になったその日に、母は息を引きとっった。
あともう少し、あともう少しで「おばあちゃん」になれたのに、、、、、
病院で、母の荷物を整理していると、机の引き出しの奥からちっちゃな白い
毛糸の帽子と、作りかけのアフガンが出てきた。
裁縫が得意でない母、きっと何度も何度も編みなおしたであろうちぢれた糸が
たくさん出てきた。私はそれを握り締めて、嗚咽が出るほど泣いてしまった。
その時の子がもうすぐ一歳。帽子ももうちっちゃくなったよ、おばあちゃん。

885 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/09/07 16:09 ID:Km6OYJUk
私自身のお話で恐縮ですが‥
私が生まれた当時(約30年前)母は体が弱い為、出産直後からずっと入院生活を
余儀なくされ、父は設立直後の会社の為日々翻弄し、当然新生児を育てられる環境では
ありませんでした。そこで私は3歳半位まで施設に預けられていました。月に2〜3回ほど
父が施設に面会に来てくれては、数時間を一緒に過ごし、また施設に戻るという生活を
送っていました。それはそれは両親とも私と一緒に住める日を心待ちにしていたそうです。
(私自身はかすかに覚えている程度なのですが‥)とうとう待ちに待った私の引取り日、
とても喜んだ母が「○○(私の名前)ちゃんの好きな物を何でも買ってあげる!何がいい?」と
聞くと私は「いちごが好きやから、いちごが食べたい!!」と言ったので、二人でスーバーに
いちごを買いに行きました。そして、母が「さぁいっぱい食べや!!」と言ってお皿に山盛りの
いちごを出した所、私は3つしか食べなかったそうです。母が不思議に思って「どうしたん???
なんで3つしか食べへんの?」と聞くと私はにっこり笑って「だって、いちごは3つしか食べたら
アカンねん」と答えたそうです。施設ではいちごは一人3つと決められていたようです。それを
聞いた母は私を抱きしめて泣したそうです。
長文&駄文失礼!!

889 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/09/09 14:02 ID:dEM51N/C
私も自分の話&季節はずれで恐縮だけど・・・。

長野生まれの私は4歳の時に祖父を亡くしました。
豪雪地帯に住んでいたので祖父とはよく雪だるまを作って遊んでいました。
祖父が亡くなったのは冬の日。お墓に埋葬する時も雪がものすごく
積もっていたそうです。寒い中一人でお墓に入る祖父が可哀想で私は
小さな雪だるまを沢山作って「おじいちゃんが寂しくないように」と
供えたそうです。
そんな私も娘を産み、その子が5歳になったこの前の冬、祖母が
亡くなりました。娘を連れて埋葬に立ち会っている時、ふと見ると
娘が懸命に雪だるまを作っていました。
「おばあちゃん寒くて寂しいからお友達作ってあげるの」と
言って小さな手で雪だまを作りつづける姿が、話にだけ聞いた記憶にもない
自分の姿とオーバーラップして、思わず娘を抱いて泣いてしまいました。

907 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/09/17 02:54 ID:V/9YCh46
去年の夏、高校時代からの友人がガンで亡くなりました。その時1人息子は2才6ヶ月くらいだったでしょうか。
4月に入院して夏には亡くなってしまったので、私たち友人も「信じられない」という感じでした。
お見舞いにいったとき、「ダンナにとって私のかわりはいくらでもいるけど、K(息子さん)にとってママは私だけだからKのために絶対がんばる」
って言ってたのに・・・。
あとで聞いたんですがスキルス性の胃がんだったそうです。お葬式のとき、まだあまりわからないKくんはママの遺影を見て
「ママだよ」っていったり、棺の中のママを見て、「ママ、ねんね」とか言っているのを聞いて涙、涙でした。
私の子供も2歳8ヶ月ですが、自分はこの子を残してなんて絶対死ねないってやっぱり思ってしまいます。
小さなKくんを残して死んでしまった彼女の無念を思うと泣けて泣けて仕方ありませんでした。
あんなつらいお葬式ははじめてでした。
続く。

908 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/09/17 02:56 ID:V/9YCh46
続き。
この前、新盆にいって来ました。(K君は彼女の両親の所で育てられています。)
Kくんの様子はどうかなと思っていましたが元気な様子に安心しました。
でもおばあちゃんが言うには、保育園に行く時にママの写真にむかって
「ママいってきまーす。Kもがんばるからママもがんばってねー」
帰ってきたら「ママただいまー」って毎日写真に向かって言うそうです。
その時はいつも胸がツンとすると言ってました。
私が帰るときに外まで見送ってくれたKくんは私の車が動きだしたら
後から追って走ってるのをバックミラーで見ながら、なんとなくせつない気持ちになって泣いてしまいました。
人の子ですが、Kくんが素直で良い子でやさしい子に育ってほしいと願ってしまいます。
長文・駄文でスマソ。

960 :名無しの心子知らず :02/10/09 22:04 ID:Zd8TzqaJ
今日テレでやってた中居と鶴瓶が司会の番組見た?
アメリカのガンに冒された8歳の息子を励ます為に
母親が「秘密の友達」として手紙を書くの。
毎日毎日・・・
半年の命と宣告された息子は
手紙に励まされて3年以上生きていたんだって。

母親が「秘密の友達」として手紙を書き始めて間もない頃
息子が「ママ、これ『秘密の友達』に出しておいて」と
母親に手紙を渡した。母親がドキドキしながらコッソリ手紙を読むと
楽しかったクリスマスの思い出が書いてあって最後に
「これからももっと手紙のやり取りをしたいね、ママ」って
書いてあったんだって。号泣

でもその後死ぬまで2人ともこのことは一切口にせず
今までどおり「秘密の友達」として手紙のやり取りをしていたんだって。

母親は今全米のガンと闘う子供たちのために
「秘密の友達」として手紙を書いて励ましているんだそうだ。



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