PickUp #263  2004.03.28   <- Prev  Home   Next ->


No.263 【再度】思い出してホローリくる家族との思い出part4 より

368 :おさかなくわえた名無しさん :03/06/04 04:50 ID:vRzpiQ7D
俺のガキの頃、ものすごく貧乏だった。親父、アル中街道まっしぐら(笑)
辛かったけど、おふくろはものすごく俺にやさしくしてくれてさ。

俺が小学生の時、おふくろの知り合いの御夫婦が家にヒョッコリ遊びに来て
俺1人だけを外に連れ出したんだよね。 車で向かった先はレストラン。
「好きな物、何でも食べていいよ」って、俺に言うの。 どういうこと?
メニュー見たら、ビーフカレーが1200円もする。 んもう、アホかと。
そんな高いの、俺1人だけで気楽に食えるかよ。何でおふくろも誘わない?
俺、メニューの中で一番安い200円のクロワッサンを選んだ。そしたら
「それは付け合わせで食べるパンだから、他にも頼みなさいな」だってさ。
俺、意地はって、クロワッサンだけでいいって言ったんだ。
何かすごいムカついてきてさ俺。 こいつら俺に同情してんの?…なんて。
結局、クソ固いクロワッサンだけ、ムシャムシャほおばって食事は終了。
意地を張り通した事で、自分に酔いながらニヤけて帰宅したんだけどさ、
家に入ったとたん、おふくろが満面の笑顔で、俺に
「良かったねぇ、何を御馳走になったの? 美味しかったでしょ〜?」
なんて聞きやがる。 美味しかったワケないじゃん、固いクロワッサン。
「何をって… クロ…」 言い終わらないうちに、なぜか泣いちゃった俺。
おふくろに「何泣いてるのよ?」って笑われながら、頭をなでられた。

あれから20年。今でもクロワッサンが嫌い。 あのパン、キモイよ形が。
でも1200円のビーフカレーは、好きなだけ食えるようになった。

6 名前:6 投稿日:02/12/05 19:58 ID:gwACxe4w
微妙に趣旨とは違う気もするけど自分の話でも
私は自分が物心付かない頃から両親の離婚で母親の実家で
暮らしていた。母親が父親代わりというか、働いてお金入れる。
祖母が母親代わりに面倒見るという環境。
兄の虐待のお陰で思いやりとか愛情とかとは無縁と思われた
子供時代だった。心に芽生えたのは憎しみだけ。そして
その憎しみはすべて母親に注いだ。
自分だけのせいかはわからないが母親の心は壊れた。
子供心に自分の限界を感じ父親の元へ逃げた。
そして愛情のない父親からもまた逃げた。
遠く離れた土地まで逃げてきた。

私も大人になり、母親への憎しみは消えていた。
手のひらを返したように急に優しくしたり電話をしたりはできないが
これから自分が結婚して子供でもできたら相談がてら電話したり
多分いい関係に持っていけるだろうと思っていた。

7 名前:6 投稿日:02/12/05 20:11 ID:gwACxe4w
地元を離れて2年たったある日、仕事から一人暮らしの部屋に帰ったら
留守電のランプが点滅していた。
留守電なんてほんとに滅多に入ることはないのに
なんだろう?無言かな?と思いながら再生ボタンを押して
着替えようとしていた。二件も入っていた。

母親が死んだ。

すぐには理解できなくてタバコに火をつけた。
最初に思ったことは「自殺」
そして自分が今何をすればいいのかすぐにはわからなかった。
結局パニくって色んなとこに電話して、最終の飛行機に乗った。
すでに葬儀場に行っていた母親のもとに着いたのは12時を回るところ。
私が家を出る前後から欝気味だったので親戚一同自殺だと
思ったらしい。まだ40代だし。ひとり、近くに住んでいた祖母を除いて。

8 名前:6 投稿日:02/12/05 20:38 ID:gwACxe4w
詳細は着いてから聞いた。ガンだったらしいが
それが初めてわかったのは死体検案。
部屋で血だらけになって一人冷たくなっていたとのこと。
日程的に、翌日の昼間は空き時間があるので母親の部屋を見に行った。
一人暮らしだったので数日間放置はどうかとも思い。
ほんとうに血だらけだった。
荷物の片付けも葬儀が終わったらしなくてはならないので
どんなものがあるのか見ていた。
自分が生まれたときの母子手帳や足形、そして小さいメモ帳があった。
しばらく削ってないだろうと思われる太い鉛筆の字で
平成○○年 ○○才 (兄) ○○才 (私) ○○才
 ・
 ・
 ・
 ・
延々と母親が百ぅん才まで書かれていた。まだ出来ても居ないのに
孫の年まで数えていた。死体検案書よりなによりそれは母親が
自殺じゃなかったことを証明していた。

280 :おさかなくわえた名無しさん :03/05/18 23:29 ID:ss3W3GTM
まだ幼稚園に行っていない俺を引き取って、山間の小さな集落で
たった一人で育ててくれた祖母。
親元に戻った後も、何かと俺の心配をしてくれて、
気弱で成績のあまり良くない俺を、両親がガッカリしてる時も
「この子が泣き虫なのは、小さな時にさみしい思いしたから」
「この子は大器晩成だから、今は心配しなくてもいい」
なんて、いつもいつも俺を庇ってくれた。
俺が挫けそうになると、「大丈夫だから、大丈夫だから」
って励ましてくれた。
俺の就職が決まった時も、電話口で泣きながら喜んでくれた。
「よかったねぇ、あんなに泣いてばかりの子がねぇ…」
今の俺があるのは祖母のお陰です。
祖母から受けた恩はずっと忘れないよ。

でももうあんまり時間が残ってないんだよね…
何一つ恩返しが出来てなくて、本当にごめんなさい…

298 :おさかなくわえた名無しさん :03/05/26 18:40 ID:cVQtGYe2
10年間癌と闘って53歳の若さで死んだおふくろ。

俺よりショックだったのは父だった。

父はおふくろの闘病中から、酒に逃げていた。
父と二人暮しがはじまって、父は朝から晩まで酒を飲み
家のことはもちろん仕事もしなくなった。
僕は何も文句は言わなかったが、父子の会話は減っていった。
正直ほっておいた。
仕事もいかず家でずっと酒を飲み、2時間おきて2時間寝るという
生活をしている父に、母が亡くなって落ち込んでるからから・・
という気持ちと、母の入院時からどうしようもない親父だ・・もう
社会復帰できないだろうという気持ちがあったからだ。

母が死んで7ヶ月、親父が言った。「おかあさんの葬式いつやるんだ?」
お酒の飲みすぎか、頭がおかしくなっていた。一瞬の酔いではなかった。
3日後救急車で運んだ。アルコールと栄養失調、その他の影響もあった。
入院生活中肺炎になった。1ヶ月入院してほとんど人工呼吸器でボケも
入っていて会話ができなかったが、時々俺の言葉にうなずいている瞬間が
あった。いやわかってくれていたと思いたい。
母が泣くなって8ヶ月父も僕の目の前で息を引き取った。
なんでこうなるまでほっといたのか。罪の意識でいっぱいだ。
亡くなってから思い出す、力強かった、厳格な父。
本当に後悔でいっぱいだ。写真の父はやさしい顔をしている。
なぜこの顔を守ってやれなかったのか。

俺の心の支えは母と父の死に目にあえたこと。ただそれだけ。

303 :おさかなくわえた名無しさん :03/05/27 01:09 ID:C9bXTnhQ
結婚が決まって旦那の両親が私の実家にやってきた時のこと。
旦那の母が「大事なお嬢さんをいただくんですから」
というようなことを言った。
普通に聞き流していたんだけど、旦那と両親が帰ったあと、
母がちょっと複雑な表情をしてぽつっと言った。
「あげちゃうのはイヤだなぁ…」
母のそんな表情、見たことなかった。

育ててくれて、ありがとう。私はどこにいたってあなたの娘です。

317 :おさかなくわえた名無しさん :03/05/28 23:42 ID:zPlPScfB
兄弟の中で一番仲良しだった1つ上の兄貴。
その兄貴がガンで余命1年を宣告され、病院から出れない状態だった。
母と一緒に、県外の病院に入院してる兄貴に会いに行った時。
兄貴とあたしはいっぱいいっぱいはしゃぎながら、あれこれ話した。
本当はそんなに長時間会話する体力もなかったのに。
付き添いをずっとしてた兄貴の恋人は、
「妹さんのこと、いつも自慢げに楽しそうに話してたんだよ。
 こんなにいっぱい話して・・・会うの、すごく嬉しかったんだね」
そう言ってくれた。
兄貴はとても賢いひとだったので、自分の病気、余命のこと
すでに知ってて、2人きりのとき。
「自分はいなかったと思ってくれ」って言われた。

その時の震える兄貴の手を、声を、あたしは絶対忘れない。

辛い時、いつも最後の一瞬まで闘病した、尊敬する兄貴を思い出して、
自分に喝を入れてます。

714 :おさかなくわえた名無しさん :03/09/11 01:30 ID:o4QwppSY
私が結婚する年に祖母が肺がんでこの世を去った。
入院したが、治療も特に出来ないので(末期だった)しばらく自宅療養だった。
幼馴染がお見舞いに来た時、その子も結婚が控えていたので
祖母は「お祝いに千円あげるね」なんて言っていた。
保育園からのつきあいで、遊ぶ時もおやつを食べるのもいつも一緒だった。
祖母にしてみれば、同じ孫で、小さい子供のままなんだね、って皆で笑った。

そのうち自宅療養では無理があり、再入院となった。
仕事帰りによるのが日課になった。
少しずつ弱って、寝てる時間が長くなった頃、ようやく婚約指輪ができた。
勇んで病室に行くと、偶然起きていたので、
おばぁちゃんの見てる前で旦那に左手の薬指にはめてもらった。
「よかったね・・」って言いつつ、また眠りについた。

715 :714 :03/09/11 01:47 ID:o4QwppSY
どんどん弱っていくのが目に見えている頃、
いつものように仕事帰りに病室へ寄ると母が付き添い起きていて
ずっとしていた左手の金の指輪を私に・・・と・・・

それは子供の時の約束・・・「いつかちょうだいね」
欲しかった、でも欲しくない気もした。
でもちゃんとお礼が言えた。「ありがとう」って。

それからおばぁちゃんは危篤状態になった。
ずっと頑張ってくれた。心残りがないくらい家族に看病させてくれた。
・・亡くなった時は、泣きたくなかった。
お葬式に幼馴染が来た。泣いていた。我慢できなかった。
抱き合って泣いた。

あれから4年。
形見の指輪は少し溶かして結婚指輪に使いました。
これでいつも一緒だね。子供もじき2歳です。
遺影を見て笑っているので、きっとそこで見守ってくれてるんだね。
病室で泣かなかったせいか、今でも思い出すたび涙がでます。

おばぁちゃんに私の子供の頃からの夢って話してあったかなぁ?
「おばぁちゃんみたいな可愛いおばぁちゃんになる」
だよ。・・・なれるといいな。
ずっと見守っててね。



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