PickUp #324  2005.01.08   <- Prev  Home   Next ->


No.324 (*`Д´)家族との思い出の味(´Д`*)その2 より

31 :もぐもぐ名無しさん :04/09/03 00:44
小学校低学年の夏休み、お昼御飯を食べに公園から家に帰ると
日曜日で家にいた父が、母から夕方まで帰れないと電話があったので
昼飯は俺が作る と宣言された。普段いっさい台所に立たない父。
届いていた御中元のそうめんを開封して茹で、冷蔵庫のつゆを注いでくれた。
仕切りに茹で加減を気にする父に、「ちょうど良いよ。」と伝え、必死で食べた。
完食した私を見届け、満足げに部屋へとひきあげていった父。
父が小鉢に注いでくれためんつゆの正体が麦茶であった事はとても言えなかった。

23 :もぐもぐ名無しさん :04/08/17 19:48
30年前、俺が5歳の時に両親が死んだ。
俺は幼稚園から帰ってたら5つ上の兄貴が一人ぽつんと暗い部屋で泣いていた。
訳も分からず「腹が減った」と泣き喚き、兄貴は泣きながらインスタントラーメンにネギを山盛り乗せたのを作ってくれた。
あの時のチャルメラの味が今でも忘れられません。

37 :もぐもぐ名無しさん :04/09/04 14:21
子供の頃母親に全くメシ食わせてもらえなかった。
学校の給食のみで過ごしていた頃、近所に同い年の友達ができた。

そいつの家は両親共働きで2歳年上の姉ちゃんがいつもそいつの面倒を見てた。
姉ちゃんは少し体が弱いせいもあっていつも家の中に居た。
毎日遊びに行って腹が減ったと言うとニコニコしながら何かしら食わせてくれた。
特にグラタンとオムライスがうまかったな…
中学になると給食も無くなっちまったけど、弟の分と一緒にオレの分まで弁当作ってくれた。
姉ちゃんのおかげで今まで生きてこれたようなもんだ。

そんな姉ちゃんも今月嫁に行くらしい。
病気のせいで子供が産めないのに、それを承知で嫁に来いと言ってくれた
とても優しい人なのよ。そう言って嬉しそうだった。
オレも姉ちゃん好きだったんだ。だから絶対幸せになって欲しい。

51 :もぐもぐ名無しさん :04/10/09 23:49:28
昔、母親がチョコチョコ入院してたから、家事なんか恐らく一度もしたことない父親が
なんとかっていう業者の、料理のメニューと材料がセットになってて
あとはレシピ通りに作ればいい、ってヤツを宅配で
頼んで作ってくれてた。
しかし不味かった・・・(多分まともに作れてないから)
でも、父親なりに工夫して作ったのが焼おにぎり。
不格好なおにぎりに味噌を塗ってトースターに突っ込んで焼いてくれた。
焦げ焦げで食べる所が少なかったけど
「どうや?」って自信なさげな顔して聞く父親が
可愛かった。
味がどうだろうが、美味しいと言う他に無かった。
自分の為に作ってくれた事が嬉しかった。焦げ焦げで苦かったけど全部食べた。
それ以降、父親は朝も夜も焼おにぎりを作ってくれた。

どうしようもなく金と女にだらしない父親だったけど、

53 :もぐもぐ名無しさん :04/10/16 01:51:29
まだ実家で家族と暮らしてたころ、食卓に紅生姜が出た。
私は食卓に紅生姜が出てるのがとってもめずらしくて、
別にすきでもないのにばくばく食べた。

数日してから、食卓に山盛りの紅生姜が並べられていた。
どうしたのこれーって聞いたら、お父さんが買ってきたらしい。
お父さん生姜が死ぬほどキライなのに、なんでかなって思ったら
だってお前おいしそうに食べてたろだってさ。
自分は食わないのに文句ばっかいってる娘のために
たいして多くもない小遣いのなかから買ってきちゃって、
バッカだなあって言いながらも、私はこの人の娘で
本当によかったと思った。

今は進学のために一人暮らししてる。
年末に帰るときには、また死ぬほど親孝行してやるからな。
首洗ってまってろ。

67 :もぐもぐ名無しさん :04/11/02 23:28:55
休日に父親が作ってくれたお好み焼き。
広島風と関西風の中間って感じのだったけど、
汗かきの父が必死に作ってくれた姿を思い出してしまいます。
そう、父は病気で他界しました・・・。
もうあのお好み焼きを再現できません。
鉄板まで特注したのに・・・(会社の取引先の人に作ってもらったらしい)。
「定年になったらお好み焼き屋でもしようか」って冗談まじりで言っていた
父を思い出しながら、近所のお好み焼きを食べる今日この頃です。。。

108 :もぐもぐ名無しさん :04/11/12 20:53:53
うちは焼肉かな。日曜の夜は焼肉が多かった。サザエさんのエンディングが流れると
親父がブリーフいっちょで風呂から出てくる(決まって同じタイミング!)それが合図
で、母が夕食の支度を始める。
焼肉と言っても、当時は牛肉はこまぎれしか買えなくて、それを鉄板で炒めたという
代物。でも、こまぎれだから油たっぷりのってて、おいしかった。輸入牛肉が安くなってから
一応カルビとか出てくるようになったけど。
サザエさんのエンディングを聞くと、今でもこまぎれ焼肉を家族で笑いながら食べたこと
を思い出します。

69 :もぐもぐ名無しさん :04/11/03 02:35:57
おれは、ガキの頃シンプルなものが好きだった。
チャーシュー麺よりラーメン
海鮮ピラフよりたまごピラフ
けんちん汁よりみそ汁
色々と具が入っているのは面倒くさく感じていた。
おれがガキのある日、
かあちゃんが「きょうはうどんにしよう」と言った。
おれは迷わず「かけうどん」(関西でいう素うどん)を要望した。
出てきたものは鶏肉やら野菜やら具沢山のうどんだった。
おれは「これ、かけうどん?」と聞くと
かあちゃんはそうだと言う。
仕方なくおれは全部喰った。
その後「かけうどん」なるものは何度も食卓に登場した。
いつもいろんなものが乗っている「かけうどん」だった。

おれも、いい年になった。
インチキ「かけうどん」のおかげかどうかは知らんが
好き嫌いもないし、いたって健康だ。

112 :もぐもぐ名無しさん :04/11/15 02:31:56
母親の作るすいとんは日本一だ。
家を出て自分で働くようになって、母が作ったことないような
美味しいものもいくらでも食べられるようになったけど、
やっぱり実家に帰るたびリクエストしてしまう。
母も「そんなものじゃなくてもっと食べたいものないの?いまどきすいとん?」と笑うが。
少ししょっぱくて、でも優しい母の味。

68 :もぐもぐ名無しさん :04/11/03 01:48:41
かあちゃんが作ってくれた、特大稲荷。
いつも酢飯がすっごいたくさん入ってた。
うまかったぁ…。
あたしが作ると違う味するんだよ。
またあっちで作ってよ。

58 :もぐもぐ名無しさん :04/10/29 02:14:43
滅多に台所に立たない父だが、卵の出汁巻きを焼かせたら天下一品。子供の頃出汁の混ぜ方や
油の敷き方、逐一伝授してくれた。
派手好き、社交的なお調子者で母はいつもその側で立ち働いていた。

私が国外で骨を埋めるつもりで暮らし始めて16年 余り、
その間に父も歳を取り持病の糖尿が祟り片脚を膝下から切断するなど衰弱の影を拭うことができなくなった。
突然衰えを見せ始め緊急入院の際、7年振りに娘の一人を引っ張って帰国、病院へ。
寝床に沈み込むように横たわる父を見るもその額に手を当て「元気だった?」としか声の掛けられない馬鹿な娘。
死は辛うじて免れ、暫くしてまた自分の住む場所へ戻ってきたあれから一年半・・
電話で聞く父の声は明るきも呂律はまわっていない。
子供へと変身していく父は私が彼の側からいなくなったようにある日突然姿を消すのだろうか。


今日娘にお弁当のリクエストをされた−−白ご飯と出汁巻き卵



父の宝はしっかり受け継がれている。



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