PickUp #335  2005.03.04   <- Prev  Home   Next ->



No.335 (*`Д´)家族との思い出の味(´Д`*) より

131 :ムゥゥゥ :03/07/15 18:10
両親と喧嘩して家を飛び出して5年間連絡をとらずにいた
結婚したい女ができ実家に彼女を連れて行った 玄関先で母親に音信不通にしていた事を侘び頭を下げるとまるで何事もなかったかのようにが『おかえり、ご飯できてるよ』と笑って迎えてくれた
座敷には昔と変わらずにテーブルが置かれしょうが焼きに漬物、唐揚げ、ポテトサラダ…普段の料理でも私の好物がならんでた
オヤジが『帰ってきたか』と一言、そして『あまり親に心配かけるな』と静かに笑って言った

父と母は嬉しそうに話しをして緊張してる彼女にも気を使い『ご馳走じゃないんだけどたくさん食べてね』なんて言って皿に盛っていた
料理を食べながらなんか有難くて自分の親不孝が辛くて泣きそうになった

今は二人とも亡くなってしまったけどあの日の食卓にならんだ料理は我が家の食卓に今日もならんでます

344 :もぐもぐ名無しさん :03/09/05 22:00
俺の家すごく貧乏だったから食べ物はほとんど自給自足していた。
なかでも幼少の頃、もうこの世にいない父ちゃんと釣りにいって獲ってきたアラカブ(カサゴ)の母ちゃんのつくった味噌汁は最高だった。
いまでも海にいくとこの時の味がよみがえってくる。

363 :もぐもぐ名無しさん :03/09/15 12:24
3歳の頃母親が死んだ。
親父は葬式の4ヵ月後に全然知らん女と再婚。
その上死んだ母親の係累との繋がりを自分から断ち切って
しまった。
漏れは色んな事実を受け止める、いや理解することさえ
出来ず、本能的に突然目の前から消えた母親の代わりに
自分を守ってくれる存在を捜し求めていた。
夕方、近所の子どもたちと遊んでると、それぞれの子の母親が
「ごはんだよ〜!」と呼びにくる。
気が付いたら薄暗い広場に自分ひとり残ってた。
そんな毎日だったが別に「さびしい」とか「悲しい」
とか、そんな感情は湧かなかった。
ただ自然に、「そろそろ俺も帰ろう。」
そんな感じだった。
3歳の坊主の心理なんてそんなもの。

そんな漏れを不憫に思って面倒見てくれたのが死んだ母親
の母親、つまり婆ちゃん。
家が比較的近いこともあってたまに一人で出向いてた。
行くと婆ちゃんが必ず漏れに作ってくれたのがあんこの
「だんご」。
それもだんごの原料の「米の粉」やあんこは自分で
挽いた本格的なやつ。
米の粉は蕎麦をこねる「木鉢」に入れ、沸騰した熱湯を
注いで熱いうちに素手でよくこねないと美味くならないんだな。
婆ちゃんはひたすら手を真っ赤にして一生懸命こねていた。

あんこがたっぷり乗った、暖かい湯気の出ているだんごを
ほうばる漏れを眺める婆ちゃんの表情は笑うでもなし、
泣くでもなし、複雑な表情だった。
そのときは通り一遍の「うまかった。」という印象しか
残らなかった。

あれから数十年、漏れも人の親になった。
ふとしたことであの時を思い出した。
「そうだ。子供にだんごを作ってあげよう。」

婆ちゃんのしぐさを思い出しながらやってみたが、
どうしても米の粉をこねる、という工程ができなかった。
熱湯を注いだ米の粉に熱くて手が入れられないんだな。
仕方なくある程度冷めてからやったが、味も素っ気もない、
粉っぽいだんごになってしまい、結局あのときの味は
再現できなかった。

漏れは鈍いヤツだったな。
今頃になって婆ちゃんの愛情の深さに気が付いたよ。
婆ちゃん、あのときのだんご、また作ってくれよ・・・・

374 :もぐもぐ名無しさん :03/09/17 06:57
ガキの頃の夏休み、父方の祖父母の家へ行くと、絶対に出るのがカレーだった。
ばぁちゃんが「水くさくないか?」とか言ってきた。なんのことかと思ったが
すぐに「水っぽい」ということだと気が付いた(兵庫弁らしい)。
確かにすごい「水くさい」カレーだった。普通のカレーを倍くらいに水増し
したような感じと思ってもらえればいいだろうか。おまけにご飯も水くさい。
正直まずかったのだが、いつも「いえ…おいしいです」と答えていた。
ここらへんは、こずかいを期待する孫としての、当然の発言だろう。
ガキが喜ぶもの=カレーという考えだったのか、そこにいる間は
毎晩カレーカレーカレー。もう勘弁してくれよ!と思った。
俺以外の兄弟もそう思っていただろう。
親父も苦笑して「外食にしようか」と言って、みんなでカレーから逃げ出した。
親父が言うには、前からばぁちゃんのカレーは「水くさい」ものなんだそうだ。
金のことでは苦労したひとだったから必然的にそうなったのかもしれない、と。
文字通り水増ししたカレー。そういや、こずかいもあんまりくれないよなぁ、
ケチだよなぁと子供心に思ったものだ。

かなり前、ばぁちゃんは天寿を全うした。じいちゃんは老人ホームへ行った。
親父の実家には誰もいなくなり、そこへ遊びに行くこともなくなった。
俺といえば社会人になり、もうばぁちゃんのことなんて、ほとんど忘れていた。

あるとき、たまたまお袋がいなくて俺が夕飯をつくることになった。
とくに何も考えずにカレーを作った。適当に作ったもんだから、それが大失敗。
とってもうすいカレーになってしまった。仕事から戻ってきた親父にそれを出して、
「いや〜『水くさい』カレーになっちゃった、ははは」
と笑いながら言ったら、親父は突然ボロボロと泣いて、カレーを食いはじめた。
完全に忘れていたのだが、その日はばぁちゃんの命日だった。
俺だけじゃなくて、家族みんなが忘れていた。
すごく気まずい気持ちで、みんな黙ってカレーを食った。
それ以降、ウチではばぁちゃんの命日はカレーの日となった。
「水くさい」カレーの日。

429 :もぐもぐ名無しさん :03/10/05 15:24
コーン、ベーコン、ジャガイモが入ったチャウダーみたいなやつ。
親父は「かあちゃんスープ」と呼んでいた。
そのスープが出るといつも、親父と最後の一杯争奪戦が繰り広げられた。
そのくらい俺と親父の好物だった。

大き目の鍋一杯に作ってくれるのだが、夕飯が終わると鍋は見事にカラになる。

どんな作り方してるのか聞いた時母さんは、
「スープの素と牛乳で簡単に作れるわよ。本当はもの凄い手抜きなの。
 結婚して以来、ずっとお父さんは喜んでくれてるから言えないけどね」
って笑ってた。

そんな母さんが先月逝った。長い闘病の末に。
親父がすっかり飯を食わなくなった。
俺が「かあちゃんスープ」を作ってみた。親父はおかわりしてくれたけど、
鍋には半分も残ってる。いつも綺麗になくなってたのに。

母さん。どんなに簡単な料理でも、同じ味にはならないよ。

563 :もぐもぐ名無しさん :03/12/07 02:48
小さい頃、夏休みに家族で帰省したら、その最終日には
必ずデパートに連れてってもらって、おもちゃ買ってもらったり、
デパートでご飯食べて帰ってたりしてた。
家がかなり貧乏で外食なんか滅多に出来なかったし、おもちゃもほとんど
買ってもらえなかったから、ものすごく楽しみだったな。

ご飯を食べるときは、俺はいつも必ずドリアを選んでた。
他のものも食べたら? って言われたら、他のドリアを選んでた。
どの店に入っても、ドリアがあったらドリアを選んでた。
メニューで一番最初に探すのは「○○ドリア」の文字だった。
俺がいつもドリアばっかりなので、外食するときは
絶対に家族全員からネタにされてたな。
「今日はドリアのない店にしよう! ごめんなー××(←俺の名前)!」
なんて言われたりとか。

あの頃は家族みんな仲が良かったんだけど、家が貧乏なのが原因で
父親と姉が何年か前にケンカして、今では2人はほぼ絶縁状態。
だから、家族全員で外食なんて長いことしてない。というか出来ない。

自分でお金を稼げる歳にまで成長した今では、外食自体は
特別なものじゃなくなった。
そんな今では、外でドリアを食べたら、家族の仲が良かった時の
色々な出来事を思い出してちょっと心が和むけど、それ以上に
寂しさがこみ上げてきてしまう。
また家族全員で外食出来たらいいのにな…って思ってしまってね。
だから今では、外食しても気まぐれ程度にしかドリアを選ばなくなった。

また家族全員で仲良く外食することが出来たらいいな。
その時は、ドリアのある店に入って、俺はドリアを食べたいな。

それが、今の俺のささやかな夢。

856 :もぐもぐ名無しさん :04/05/13 03:10
小さい頃にポテトチップスがとても好きだったのだが、体に悪いからと一袋
全部一人で食べさせてもらえなかった。
姉がいたので、姉と2人で一袋。姉もポテトチップスが好きだったので、争う
ようにして食べていた。
今は大きくなって、いくらでもポテトチップスを食べられるようになったが、
そして、もうあの頃のように一番の大好物というわけでもなくなったのだが、
どうしてもポテトチップスを見ると姉を思い出す。


なんで何も言わず一人で死んじゃったかなあとたまに思う。





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