PickUp #364  2005.05.26   <- Prev  Home   Next ->


No.364 思い出してホローリくる家族との思い出Part2 より

312 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/04/04 18:44 ID:???
去年、失業した。本当に…途方に暮れた。
正月、実家に帰ったとき、弟(ちゃんと独立して
一人暮らし)が黙って「ねぇちゃん、これ」と言って
封筒をくれた。開くと中には10万円。
「なにこれ、いらないよ」と言うと、無愛想に
「…貰えよ。」「いらないよー、弟にお金なんてさー」
「…俺、ねぇちゃんに何にも返してないしよ。一生に
一回ぐらいいいじゃん、貰っとけよ」

弟の「何にも返してない」という言葉の意味は後で母親に聞いたら
弟が受験の頃、私が色々書類・受験校の資料など世話をしたのを
さしていたようで。当時、母は入院、父親は仕事で忙しく、あまり
そういったことにも疎いため、私が全て手配したのです。受験校の
近くのホテルやらなんやらまで。そんで両親が私が失業して
困っていると話したようで。

「まぁそこまで言うなら貰っておくよ」と言ってありがたく貰いましたが
帰りの新幹線のトイレで声なき号泣いたしました。

605 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/05/30 18:37 ID:S3pUiPp6
息子が何をいっても反対することしか知らない親父に嫌気がさして、金も持たずに家を出た。
母親には心配かけたくなかったので連絡先だけは教えていた。
営業を募集してうる会社がありm寮もあるので迷わずそこに入社した。
完全歩合制だから最初は何も食べない日ばかりだった。
まだ終わってないローンもあり、それも払えず連日実家に催促の電話があったらしい。
母親は何度も帰っておいでと電話してくるが、今帰るのは自分から逃げ出すようでとてもじゃないが帰れなかった。
1月9日、俺の誕生日。まだ、止まってなかった携帯にメールが一通。
親父からだった。

「ハッピーバースデー○○仕事頑張れよ」

思わず涙がこぼれた。
メールなんて出来ない親父が送ってきたメール・・・
なんだか自分がちっぽけな存在に思えてきた・・・

その頃から母親の体調が悪くなり、一番下の弟も学校に行かなくなったらしい。
全て俺の所為だ。それでも帰れなかった・・・

それから半年・・・仕事が上手くいかず、孤独を感じ、初めて俺から電話した。
母親がでた。帰っておいでと言われると思ったが、弱々しい声で「元気でやってるん?
体だけは壊さんでね・・・」

その後ですぐ、親父に電話してみた。
親父は長距離の運転手をしていて
「明後日、ちょうど近くに行くんよの〜、ジュースのケースが400ケース積まんといけんじゃあ・・・○○が手伝ってくれるとすっごい楽なんじゃけどなあ・・」
駅の公衆電話で、帰宅ラッシュ、そんな中で大泣きだった。
「手伝ってくれるか?」
「うん」
その瞬間に帰る事にした。
家族に迷惑をかけたのに、誰一人として俺を責めなかった。
親父が「みんなも辛かったけど、○○が一番辛かった。だからみんなも何も言わんでやってくれ」
って言ってたことを後で知った。

親父は相変わらず反対する事しかしらない人間だ。
今でもむかつく事はある。
だけど、俺にとっては親父なんだ。
俺はそんな親父を超えることはできないんだろうな・・・

609 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/01 17:31 ID:c.nPTq2A
我家は母子家庭。
もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば
生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。

ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく
超々安物の指輪を気に入って購入した夜。
私「ねえ、これかわいいでしょ〜?」(本当に気に入ってたから)
小4の息子「買ったの?」
私「うん、どう?」
息子「高かった?」
私「まっさかーー、500円だったかな」

その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまい
どうしたのかと思ってたら
「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから」
って涙ふきふき言われてしまいました。

買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほど
そういうのが欲しい私ではなかったのに
息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。
でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。

これから先、何があってもこの子がいてくれたら
乗り越えていける、って改めて思わせてくれた夜でした。

744 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/18 13:24 ID:Pizse5TJ
私の結婚式の時の話。
母と以前から「お父さんは涙もろいから絶対泣くよね。」って言ってたが
意に反して、始終苦笑いの父。
まぁ、家では私が機嫌の悪い時はあたりちらしてたし、罵声も浴びせた事も
あったから無理も無いか、と思ってた。
小さい頃から、父の口から妹と弟の話しか聞いた事なかったし、あんまり私
とも話をしなかったしさ。

披露宴も無事終わり、最後、会場の出口でお客様をお見送りする時の事。
終始沈黙していた父が突然旦那の手を取り、涙ながらに、鳴咽にむせながら
「大事に育てました最愛の娘です。どうか・・・大切にしてやって下さい。」
と言った。

すごく驚いた。
どうにも涙が止まらなかった。「お父さんありがとう」を言うのが精一杯だった。

後から母に聞いた話だけど、私が生まれた頃、父は激務の最中で私の寝顔を見る
事しか出来なかったらしい。かわいくてかわいくて一晩中寝顔を見続けていた事もあったようだ。
初めての女の子ということもあって、成長していく私への接し方に悩んでいたらしい。

色々あったけど、お父さんの子で良かったってホントに思う。

558 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/05/25 20:29 ID:n/RDgvkg
私が1980年代後半頃のTV番組や歌が好きなわけ

…それは私の家族が唯一うまく回っていた時期だからかもしれない。
1980年代後半、私は10歳くらいのただの小学生だった。
母は1984年にガンの手術をして長いこと入院していたが、この頃は過去の病気がウソのように元気だった。
父は土地持ちのボンボンで少し世間知らずのところはあったが、ごく普通の父親だった。
私より8つ年上の姉は、大学受験を控えた女子高生だった。

そんな家族が、TVを見たり、ドライブに行ったりして、ごく普通のありふれた生活をして、我が家の80年代後半は暮れていった。

しかし、90年代に入ると、我が家の将来に暗雲が垂れ込めてきた。
父はちょっとした土地のトラブルから一千万以上の金を払う羽目になった。
姉は大学受験に失敗し、結局三浪する羽目になった。その間は毎年、二月の受験シーズンになると家の中がピリピリしだした。
母はそんな心労がたたったのか、ガンを再発し、93年に、中学一年の私と二十歳で結局どこの大学にも行けなかった姉を遺して他界した。

その後も謀ったかのように家に不幸が襲いつづけ、家族の絆はほとんど崩壊してしまった。
今では、たまに口をきいても結局はケンカになってしまう。二十歳を過ぎて、私の周りの同年代の友人たちは皆家族とうまくやっているというのに。
そんな私が80年代後半のTV番組や歌謡曲を探すのは、もう失われてしまった家族の思い出をを取り戻すための、ゴミより下らない無駄なあがきなのかもしれない。
それでも、つい探してしまうのだ。唯一家族がうまく回っていた頃流れていたBGM達を。



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