PickUp #366  2005.06.02   <- Prev  Home   Next ->


No.366 【吐くほど】一番辛い思い出【泣いた日】 より

168 :可愛い奥様 :2005/04/05(火) 02:56:04 ID:ySH52af3
病気で食事が摂れなくなって体重が26キロになった時
家族が精神異常になって毎日包丁をふりまわすのを必死で
押さえつけてた時
心の支えにしてた恋人に「健康でない人はいやだ」と
捨てられた時
すごく辛かった。
「もうこれまでか」と思っても死ぬに死ねずに歯を食いしばって
生きてきた。
その結果、これらを経験したあとで階段を上がるように幸せが訪れた。
不思議なものだ。

141 :可愛い奥様 :皇紀2665/04/01(金) 06:47:08 ID:AivFknJ8
旦那と子供を交通事故で亡くしました。
気も触れて自殺未遂も数回、あれから10年経ちようやく普通の生活が出来るようになりましたが、一生一人で生きていくつもりです。

もう誰かを失うのは嫌だから…

144 :可愛い奥様 :皇紀2665/04/01(金) 21:38:12 ID:C9MbcPW6
>>141
なんていっていいか分からないけど
そうやって思われてる人は天国ですごく嬉しいんじゃないかな。
忘れないでくれてありがとうって思ってると思う。

私も思い出した時、
「元気だよ。頑張ってるから、見守ってね。そっちはどう?」
って呟く。元気じゃないけど、死んじゃってからも心配させたくないから。

深い傷はいつまでも消えないけれど
いつかは皺の中に埋もれていのでしょう。
その皺が笑い皺だったらいいなと思って、毎日たくさん笑ってます。

83 :可愛い奥様 :05/03/17 22:02:13 ID:nvNG4V7N
母は、父を信頼しきって生きてきました。身体の弱かった彼女は
当然、自分が先に逝くと信じて、一生自分は守られると信じて生きてきました。

が、現実は反対でした。父が末期癌だと解ったとき、彼女は現実を受け止められ
ませんでした。病院にも来ることはなく、現実逃避に走りました。

一人娘の自分は、会社に行き早退し帰宅して、お風呂に入り、病院にいき
夜通し父に付き添い、出勤する日を繰り返しました。

そうして、大好きな父が亡くなる時も。母は居ませんでした。
父亡き後、一年足らずで、母も不治の病を宣告され、また夜通しの病院通いが
始まりました。

結局、母の死に目には会えませんでした。
独身だし、バイトだし・・・・今仕事辞めたら・・・・・て。

その後、結婚して・・・・母の気持ちが解りました。
兄弟も親戚も居ない状態で暮らして、自分も病気をしたり
色んなコト経験して。

旦那ってこんなに大事だったなんて。。。
ママ、あの時責めてごめんね。結婚ってこんなに素敵なんだね。

今も体調良くないケド、すごい幸せだよ。
きっと、空から見てるよね。

102 :可愛い奥様 :2005/03/21(月) 22:54:21 ID:jNE16I5H
1985年8月12日当時東京にいた友人から「今日帰るから明日一緒に御飯食べに行こうね」と電話があった。
当時車を買ったばかりの私は友人を驚かさそうと大阪空港まで迎えに行った。
どれだけ待っても彼女の乗った飛行機は大阪に着陸しなかった。
彼女がどれほど怖い思いをして最期を迎えたかと思うと今でも涙が止まらない。

118 :可愛い奥様 :2005/03/25(金) 01:21:59 ID:rD2fHTOB
辛さが人を磨くなんてなことを言われると、
磨かれなくても良いから、父に生きていて欲しかったと思う。
これから先、幸せにならなくても良いから、
父に生きていて欲しかったと思う。

129 :可愛い奥様 :2005/03/26(土) 22:11:02 ID:Kxi1jJ/7
前夫との離婚届けを出しに行った日。

マザコンで働かず、趣味も無く毎日家でゴロゴロしてる旦那。
気に入らない事があるとすぐ手を上げる。酒を飲んで帰っては暴れる。
私なんてどうでもいいのか完璧に無視されていたのに
離婚したいと言い出すと「俺は死んでも離婚しないよ」。
泥沼の争いを繰り広げ、殺されかかって入院の代償として
離婚届にサインをもらえた。
12月のクリスマスムード満点の街を歩いて、離婚届を出しに行った。
少々お待ち下さいと言われ処理されるのを待つ間
たった3年前にここに婚姻届を出しに来たばかりなのに。
一生懸命苦手な家事も料理も頑張ってたつもりだったのに。
何がいけなかったんだろう、どうしてこうなったんだろうと思うと
役所のソファーで涙があふれ出た。
みっともないと思ったけど、こらえられなかった。
窓口のお姉さんに心配されるほど
心身ともに満身創痍だった自分を引きずって、街を歩いた。
「頑張ろう」そう励ますしかなかった。

今でもクリスマスソングを聞くと、あの頃を思い出します。
冬の曇った空は今でも嫌いです。

179 :可愛い奥様 :2005/04/07(木) 02:04:37 ID:yfVUibL7
私を可愛がってくれてた祖父が死んでもうすぐ四十九日。
息を引き取った時よりも出棺で泣いた。
両親が共働きだったので保育園の送り迎えから入学式、卒業式、何から何まで
祖父が面倒みてくれた。両親より親に近い感じ。
旦那を初めて紹介したのも両親より先に祖父。
出産して初めて子を抱いたのも祖父。
怒って平手打ちしたのも祖父。
涙もろい祖父。
困った時は必ず力になってくれた祖父。でももういない。
小さな箱に入って帰ってきたけど、話しかけても返事はない。
毎日息子の成長を報告する話し相手がいない。
じいちゃんが教えてた「オジィー」ってやっと言えるようになったんだよ。
聞こえてるかな?
ポッカリ心に穴が開く、って本当にあったんだね。

180 :可愛い奥様 :2005/04/07(木) 16:49:22 ID:eKq50SSa
一番辛かった日か。
中学2年生のとき、交通事故で両親と兄と妹を亡くしたこと。
そして私はその事故で右足膝下から切断してしまったこと。
入院中、遺産のことを話に来る叔母。
祖母にかたわになった娘はひきとれないと言われたこと。
自分を愛してくれる人がこの世に誰一人いないことが一番辛かった。

あの頃は本当にうつろな目をしていたようですが、世の中を知るにつれ
いまだに内戦続きの国では私のような立場の子供が大勢おり、私と違い
保証も無いも無い、本当に一人で頑張っている子供の存在が、私を励ました。
こういう考え方は良くないんだけどね。
今は子供も夫もいて幸せ。
本当に家族がいる事が幸せだ。

197 :可愛い奥様 :2005/04/14(木) 13:44:34 ID:sSZsb9/9
父が他界したとき。
倒れる前日、たまたま実家に泊まりに行ったときは元気だったのに。
一緒に母の作った夕食をおいしいおいしいって食べたのに。

病院で息を引き取ったときより、火葬場で焼くとき悲しかった。
なりふりかまわず絶叫していた。
焼き終わったあと、父のあごの骨や歯をみて、
家族そろって楽しくとった食事のことや、
父が好物を喜んで食べていたことを思い出して苦しかった。

5月に初孫が生まれます。抱かせてやりたかった。

373 :可愛い奥様 :2005/05/02(月) 19:59:34 ID:5Gzz8EiY
「やっぱり○○(私の名前)の作るハンバーグはうまいわ」と
おいしそうにたいらげてくれた、兄。
次の日の朝、事故死・・・・・・。
電話で知らされ、通夜、葬儀、慌ただしくすぎてゆき
現実が受け入れられないまま、ボーっと3ヶ月くらいがたった

ある夜、寝る前に「もうこの世に兄はいないんだな」と
フト思った それまではそんな事考えないように自分の感情を
抑えてた、と思う 16歳だった私。
それから布団の中でずーーーーーっと泣いてた
自分の部屋なのになぜか声を殺して泣いてたように思う

男前で皆から慕われてた兄
あれから20年たち、今もハンバーグをこねてるときには
ちょっとつらかったり、する。



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