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No.406 恋人・家族を突然失った人 より

206 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/01/24 21:46 ID:/XqNQapm
俺が7歳の時親父が亡くなった。入退院を繰り返してたけど
死ぬなんて思ってなかった。見舞いに行って2人になった時
急にすごい力で抱きしめられて、びっくりした俺はいやがって病室
から出ようとした。その時父は俺に「○○、パパのこと好きか?」って聞いた。
俺は「大キライ!」っていった。
1時間ほどして戻ってきたらもう危篤だった。なぜあの時あんな事
を言ったのか、20数年経ったいまでも悔やんでる。
大好きだったのに…

228 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/02/10 13:52 ID:gM+TIpZC
オレのじいちゃん、90歳でポックリ逝った。大往生だったのだが、亡くなったのがオレの
結婚式の3週間前。今まで生きてきて、あと3週間が生きられなかった…。せつなかった。
式に出るのに「白い手袋を買わにゃイカン。」などと楽しみにしていたじいちゃん。
結婚式を延ばそうとも考えたが、ばあちゃんが「おじいさんも喜ぶから」と予定通りの挙式。
オレはシャツに、じいちゃんの持っていたカフスボタンをはめたよ。

254 :おさかなくわえた名無しさん :03/02/19 01:46 ID:rjmJ2S87
中学生の時に父を亡くしました。「死」は当時、遠いものだった。
祖父祖母4人とも元気で、「死」に立ち会ったことがなかった。
しかも反抗期で私の世界には私ひとりだと思っていた。

突然の死。今思えば、今でもはっきり目に焼きついているほどに
父は衰弱していっていたのに「死」なんて思うこともなかった。
病魔に冒され、あっけなく死んでしまった。

人は、死ぬんだと思った。
ずっと気丈に過ごしてきた母が母方の祖母が病院に到着したときに抱きついて泣き崩れたことも鮮明に覚えている。
葬儀屋さんに家族写真を渡して葬儀用の写真を作ってもらった時、間違えて祖父の写真で作ってきてしまったとき、母が号泣したこと。
ひと粒の涙も流さなかった祖父が姿を消し、探しに行ったら自室で声を殺して泣いていて、声をかけられなかったこと。

そんな中、まだ現実を受け止められず、寝てばかりいた私。
何日も何日も学校でも家でも涙も流さず寝ていた。でも、ある日寝ていたらテレビから

「◎◎(私の名前)! がんばれ!」という声が聞こえた。
父だと思って飛び起きた。
テレビには武田鉄矢が映っていた。
なにかの宣伝だった。
私は火がついたように泣いた。
やっと、そこでやっと現実に目を向けた。

あれから10年。今は父がいないことが普通になっているけど
ふと、考える。
今、もし父がいたら私はどういう生き方をしているだろうと。

友達の家に行ってお父さんがいたら、不思議な気持ちになる。
父は優しい人だったので、いい記憶しかない。
だからかは知らないが、中年の上司などに怒られるとすごく怖い。
人の死にも敏感になった。友達のお父さんとか亡くなると、
ぜんぜんそのお父さんのことを知らなくても葬式で号泣してしまう。
残された家族の悲しみを思うと、涙が出てしまうのだ。

でもきっと、私よりも、愛する人を失った母、そして息子を失った
祖父母のほうが悲しみは深いと思う。比べるものじゃないけど。
なので、母や祖父母のために私は生きていきます。

282 :おさかなくわえた名無しさん :03/02/20 03:16 ID:13dsOY/D
私は五ヶ月前に息子を亡くしました。
まだ小さくてハイハイもしませんでした。事故ではありませんが突然であまりにも悲しい死でした。
もう、何が起こってるのか把握出来ず、火葬の時は棺にすがり嫌だと狂ったように泣き叫びました。
亡くして何日かは長男さえ目に入らず誰の声もまともに聞こえませんでした。

長男は、泣いたり叫んだり、かと思えば無表情に黙りこくる私を必死で慰めようとしてくれました。
本当は変わってしまった私を見て、怖くて不安だっただろうに。

長男に「ごめんね、大丈夫だからね」と言ったら堰を切ったように泣き出しました。
この子のおかげで私は生きていられます。
亡くなった息子も生きていてくれる長男も大切な宝です。
息子たちのために何が出来るか考えながら、命の重みを忘れずに頑張っていこうとおもいます。

374 :名無しさん@HOME :03/02/27 23:16 ID:0y9frPsB
もう、3年にもなるが私の一人息子が、「公園にいってくる!」って言ったっきり
車に轢かれ、帰らぬ人になってしまった。「男の子なんだから外で元気よく遊んでおいで!」
これが、私の口癖だった。
夏になると真っ黒に日焼けしたやんちゃ坊主。サッカーが好きで夫とよく公園いって
たっけ・・・・・。

今、元気だったら小3、同じくらいの子をみると、辛くてたまりません。
事故の日の午前中バリカンで刈った髪の毛、未だに捨てられません。
いまでも本当につらいです・・・・

793 :おさかなくわえた名無しさん :03/08/01 12:30 ID:NA7aPrU3
私の母は病気がちで、私が小さいころから入退院を繰り返していました。
私が高校2年生だったその時も、いつものように入院。
1ヶ月ほどたったある日(曜日は火曜日)、母から
「今週の土曜日退院できるよ。
 ちらし寿司作るから、焼きノリとかんぴょう買っておいて。」
と告げられて、私は
『ちらし寿司あんまり好きじゃないのにな〜』
とか思いながらも、退院が嬉しくてすぐに買いに走りました。

でも、次の日母は病院のベッドの上で吐血し、意識がなくなり
数日後息を引き取りました。
それは、まさしく退院できると言っていた土曜日の早朝でした。
お通夜からお葬式、納骨と慌ただしく時間が過ぎ
自宅でようやく周りを見渡す余裕ができた時に目に入ったのは、
スーパーの袋に入ったままの焼きノリとかんぴょう…。

…ちらし寿司、作ってくれるって言ってたのに…

忙しさにまぎらわせていた悲しみや悔しさや怒りがすべてこみあげて
思い切り泣き続けました…。

まぁ月並みな言葉ですが、両親は大切に。
孝行のしたい時には親は無し、ですから。。。



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