PickUp #413  2005.08.18   <- Prev  Home   Next ->


No.413 旅先で出会った、忘れえぬ人たち(3) より

330 名前:バラデーロ 投稿日:02/10/19 20:01 ID:nuc9VLz0
宍道湖のほとりにある道の駅にキャンプをしたときのこと。
バイクから荷物を下ろしていると道の駅で休憩をしていたおっちゃんが話しかけてきた。

「大阪からか?」

バイクのナンバーを見ておっちゃんはそう言った。
話を聞くと、おっちゃんは以前大阪で働いていたが、不況で職を失い故郷の島根に帰ってきたらしい。
今は道路工事の誘導係をしているそうだ。

「あそこは今どうなってる?ワシが大阪におったころはよく遊びに行ったんやけど」

ローカルすぎて分からないところもあったけど、できる限り答えた。
やっぱり都会には未練があるんだろうかと思って聞いていた。

「島根はいいとこだろ?大阪みたいにゴミゴミしてないし」

おっちゃんは何度も何度も自分の故郷のすばらしさを語り続けた。

「ほら、こんなに星がきれいに見える。大阪ではぜんぜん見えんかった」

そう言っておっちゃんは空を見上げた。自分も一緒に見上げる。
どんな思いで故郷を出て都会に向かったか、なにを考えながら都会から故郷に帰ってきたか。
それを想像すると泣きたい気分になった。

437 名前:774RR 投稿日:02/11/01 03:25 ID:RQTiKIxY
5年ほど前のこと。
林道ツーリングを初めたばかりの私は、初心者のくせに「いけいけどんどん」てな感じで、コースの難しさも考えずダート路を走り回っていた。

とある夏、私は仙台付近の山岳路へソロツーリングに出かけた。
それほどハードな道ではなかった。この程度なら都内でもありそうだったし、もっとハードな山道をいくつも越えたことがあった。
その道は、行き止まりだった。仕方なく、引き返した下りカーブでのこと。

一瞬の油断と傲慢が、私とマシンを谷へ突き落とした。

「谷ィ落っこちてoffライダーは一人前」と言われる。
しかしそれは、落っこちてもちゃんと対策がとれてからの話。
初心者のくせにソロで出かけた私には、技術も経験も装備もない私には、なにもすることができなかった。

なんとか体と荷物だけは、林道まで引き上げることができた。しかし愛馬は、もうどうしようもない。

438 名前:774RR 投稿日:02/11/01 03:26 ID:RQTiKIxY
悲しかった。このまま相棒を谷へおいたまま、東京へ帰るのかと思うとつらかった。
しかも実にくだらないことに、ぼんやりしているうちに腹だけは減った。
今考えても本当に自分は馬鹿かと思う。
コッフェルを出し、飯を炊き、馬鹿みたいに食っていた。

ぼんやりとへたり込んでいてから、半日ほどが過ぎた頃。日は陰り始めていた。
全く交通のない林道に、どういう訳かユニック(クレーンを装備したトラック)がやってきた。
私は両手をぶんぶん振って、道をふさぎ、「止まれー、止まって、ください!」と叫んでいた。

それは、いずれこの道を改良することになっていた、土木会社の車だった。
本格的な工事を始める前に、調査のため訪れたという。

ドライバーと助手に話すと、「ああ、いいよ」と簡単に引き上げを請け合ってくれた。
クレーンの先のカギを握って、私は谷に降り、愛馬にそれを固定しようとした。
しかし、中年のドライバーは、若い(あんちゃんと言っていい歳の)助手に、
「おまえ、固定やれ。」と言った。
あんちゃん(感謝を込めてあえてこう言わせていただきます)は、「シロートには無理」と言いながら、絶妙のバランスをとるように、我が愛馬にロープを巻き付け、クレーンのカギにセットした。
あっという間にセローは引き上げられた。

「どうか、お名前と会社名を。改めてご挨拶とお礼に伺いたいのです」
と何度も言う私。

不機嫌ともとれる顔をしたまま、どうしてもそれを何度も固辞する二人。
「東北人はわかりにくい」といわれるが、そんなことはない。彼らはただ、奥ゆかしいだけなのだ。

「気をつけて」
とだけ言い残し、彼らは去っていった。

マシンには何ら故障もなく、私にも何らケガもなかった。
だが、意気消沈した私は、その足で家へ帰るべく、東北道に乗った。

439 名前:774RR 投稿日:02/11/01 03:28 ID:RQTiKIxY
数時間後、一人暮らしの、家へ帰った。
そこで、もっと驚くべきことがあった。

留守電のランプが点滅していた。
メッセージを再生した。
それは、上京してから、私を実の息子のようにかわいがってくれた、さるバイク乗りが、病でなくなったとの、奥さんからの知らせだった。

本当にかわいがってくれた人だった。
右も左もわからない、ガキでおのぼりさんの私に、バイクを始めいろいろなこと、男として、大人としてしなくてはいけないことを教えてくれた、真の江戸っ子だった。
尊敬できるおじさん、先輩、そしてとても及ばない、ライダーだった。

丁度、私が谷に落っこちる直前、亡くなったという。

私は、何の宗教も信じていない。
今でも。

しかしこのことばかりは、例外。

「俺、今度あの世に行ン。
葬儀、来てくんねェ。
シま(ひま)ねェかも知れねぇけど。
頼むよ。

ついでに、ユニック呼ンどいたン。」

…ということだったと思う。
谷に落っこちていなかったら、私は恩人の葬儀にでられなかった。
落っこちたままだったら、私は恩人の葬儀にでられなかった。

737 名前:774RR 投稿日:02/12/08 17:34 ID:Om+TMe2x
俺は20歳の頃、走り屋だった。

朝「ダム行かない?」
とツレから電話があったが、その日は用事があった。
汚い下宿で晩飯を食ってたらチームのヤツから電話がきた。

「マホが事故った!」

朝みんなに電話して、結局彼は一人で走りに行ったそうだ。
足が折れているものの、元気だと言うので安心してその日は眠りについた。

次の朝電話があった。
彼は突然夜中に苦しみだしあっという間に死んだそうだ。原因は内蔵破裂だった。
医者が腹も見ていれば助かったのかもしれない。足の処置しかしていなかったのだ。

通夜の夜チームのみんなで話し合った。
葬式にみんなで顔を出すか出さないか・・彼は自動車学校の先生の一人息子だった。
お前らのせいで息子は死んだ!と言われるのは目に見えていたのだ。
通夜には顔を出せなかったが、決心して次の朝全員で葬式に行った。
俺の順番だった。

マホは笑っているような顔で死んでいた。ツナギとメットには傷一つなく棺の傍らに置いてあった。
焼香を終えるとお袋さんとおやじさんが

「ありがとうね。みんなが来てくれて、マホはとっても喜んでいるよ。
 この子は好きな事出来て死んだんだから、 幸せだったかもね・・。
 でもみんなは死んじゃ駄目だよ。親は悲しむからねぇ・・。」

あれから10年以上たった今、お参りに来るのは俺一人になったそうだ。
そう、俺だけはあいつと供に今も走り続けている。
あの日、「一生お前と一緒に走り続けてやるから。」と俺は誓ったから・・。

9 名前:774RR 投稿日:02/09/18 21:40 ID:XXKL3Mdd
九州ソロツーリング(十数年前)での話。

湯布院に泊まった俺は、月明かりに誘われ狭霧台へ夜走りした。
しかし、うかつにもジーパンのポケットに入れていた財布(7万入り)を落としてしまい翌朝チェックアウト時に気づく。
手持ちは百数十円、その日は日向からフェリーに乗ることになっていて、乗り過ごすと仕事に穴をあけてしまう。

急いで家に電話し湯布院の信用金庫に送金を依頼する。
宿の女将さんにおそるおそる事情を話すと大変同情され送金されるまで宿でゆっくりしてきなさいと暖かいお言葉。
近くの「別府信用金庫」に出向き、送金受け取りのため口座を開こうとしたら窓口のおねーさんに不思議がられる。
そりゃそうだ、東京の人間が口座開こうとしてんだもん。
仕方なく事情を話すとこれまたいたく同情され
「わかりました、送金が届いたら最優先でお支払いします」
と言ってくれた。
ちなみに店内は客で激混み。

10 名前:774RR 投稿日:02/09/18 21:41 ID:XXKL3Mdd
完璧に一見で事務的に処理されても文句言えないはずなのに、弱っているときの情けは身に染みるっす。

数時間後、宿で茶をすすりながら時計を気にする俺の元に入金したとの電話が入る。
ダッシュで信用金庫に出向くとおねーさんが並んでいる人々を飛ばして呼んでくれる、、、

「金利はつきませんが、湯布院の良い思い出を持ち帰って下さいね」

と金を渡してくれた・・・九州に足を向けて寝れませーん。

結局R10を激走した甲斐あって何とかフェリーに間に合った。
後日知ったことだが、東京から送金手続きしてくれた某都銀の営業さんもバイク乗りで、お袋から依頼を受けたら自分の仕事を全て後回しにして手続きに奔走してくれたそうな。
金融再編の嵐が吹き荒れる昨今、恩人たちに幸有れと祈る。



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