No.495 思い出してホローリくる家族との思い出Part2 より
- 529 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/05/21 22:44 ID:???
- 高校時代、母親が嫌いでした。
嫌いというか、うざったいというか、まあそんな感じで。
特に受験期なんて「うるさい。默って。」位しか口にした覚えがないです。
そして、大学に受かって、一人暮らしを始めて2年半位。
いい加減反抗期(?)も過ぎて、どうにかコミュニケーションをとろうとしていた時期。
実家の妹からの電話で、どうも母親の調子が悪いということを聞きました。
私は、母と電話を代わって貰い「早く病院行って見てもらいなよ」と言いました。
家族らしい会話の仕方が分からなくて、凄くたどたどしい言い方だったと思います。
母は「病院に行って、もし入院でもさせられたら嫌じゃない」と言って笑っていました。
ちなみに、妹に聞いたところによると
母は「『お姉ちゃん、急に良い子になってびっくりした』って言って笑ってた」そうです。
それから何ヶ月後の年末、久しぶりに私は実家に帰りました。
出迎えてくれた母の顔がいやにこけていて、見た瞬間恐怖を感じたのを覚えています。
「まさか」とか思いつつ、その正月は父が、私と妹にお年玉を渡すのと一緒に
母にペンダントを贈ったりして、凄く「家族」というものを実感した数日でした。
父が母に何かを贈るのなんて初めて見たんです。
そしてその年の4月11日23時半くらい、父からの電話で、母が亡くなったことを知りました
- 530 名前:529 投稿日:02/05/21 22:45 ID:???
- 本当は全然急じゃ無かった筈なんですが、その時の私には急で、全然実感が湧きませんでした。
その日は遅かったので、寝て、起きて、準備して、電車に乗って、
ホントにその間、泣きもせず、喪服が無い…なんてことを考えていました。
でも、実家のある駅まであと10分位になった時、急に
「次に帰ったら、グラタンとロールキャベツ作って貰おう」
と思っていたことを思い出して、そしたら馬鹿みたいに涙が出てきました。
悲しいとか淋しいとか後悔とか、全部いっしょくたになって。
母は、その頃もう、滿足に食事をしたり、歩いたりも出来ないくらい悪かったそうです。
父は、同じ家にいた自分が助けてやれなくて、と泣きました。
私は、そんなこと、全然知らなかったんです。
あれだけ兆候はあったのに、どうしてもっと気にしてあげられなかったんだろう。
私は、ひねくれたまま家を出てそのままで、「ありがとう」の一言も言ってないです。
高校時代、ずっと酷いことしか言わなかったこと。
それでも母は一度も本当に怒ったりしなかったこと。
私が母の体を心配した時の母の言葉、手料理、小さい頃抱きしめて貰ったこと。
ふとした瞬間に思い出して、泣きたくなります。
- 738 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/17 22:19 ID:KNaJf8JV
- 高校を卒業して初めての一人暮らしへの旅立ちの日の朝。
私は前の日に原因は忘れちゃったけどささいなことでお父さんと喧嘩してた。
それでもおばあちゃんに
「お父さんに一言くらいは何か言っていきなさい!」ってうるさく言われて
ちょっと気まずいながらも洗面所で顔を洗ってた父のもとへ。
それでも意地っ張りな私は何ていっていいか分からず、一言
「・・・行って来るね。」ってぶっきらぼうにつぶやいた。
父は何も言わなかった。でも、洗った顔をタオルでごしごしこすりながら
目を真っ赤にしてるのを見たとき、初めて父が泣いてるのに気づいた。
何も言わなかったけど、お父さん実はすごく淋しいんだろうなーって思ったら
私も駅までの道で涙を抑えずにはいられなかった。
- 799 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/07/23 01:32 ID:tHmWWTGI
- 小さい頃から無口で無愛想でたまに喋っても何かと理屈ばかりの
いわゆる理系の人間で俺のことに関しては何も言わず無関心ぽい感じだった。
精神論て概念なんぞ何一つ持ち合わせてないロボットみたいな父親だった。
そんな父親の背中を見てきたせいか俺は友達も少なく、外にも出ないので
激しく世間知らず、と自分で言うのもなんだけどかなりのダメ人間だった。
そんな俺は18になって本格的に自分を変えようと父親に「東京の大学へ進学する」と言った時
てっきり、しっかり勉強しろよとかロクでもない事言うのだろうと思ってたら
「自分の目で都会をしっかり見て来い」と言った。
なぜか涙が止まらなかった。
あとから母に教えてもらったけど俺の大学進学費用をかなり貯めていたらしく
俺の知らない学資保険まであった。地元の大学なら余裕でおつりが出るくらい。
俺が都会の大学に進学するだろうと、父親が車も買わずにかなりつぎ込んでたらしい。
てっきり無関心かと思ってたらちゃんと俺の事を考えていてくれた事が分かって今頃感動してしまった。
- 916 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/09/16 20:51 ID:QtfVTqYI
- 妻と結婚する前、THE BLUE HEATSのライブを見に行った。
まだその頃はあまり有名ではなく、俺はあんまり乗り気じゃなかった。
しかし、そいつらの姿を初めて見た時はびっくりした。
そこら辺のダメ人間の集まりみたいな奴等だった。
しかし、その格好とは裏腹に心に残るなんとも言えないメロディーに俺は魅かれた。
二年後、結婚して息子が生まれ3人でまたライブを見に行った。
その時の最後に歌ったリンダリンダがとても印象的で、俺はわけも分からず涙を流した。
それから3ヶ月後、妻は交通事故で急逝した。
俺は半場ヤケにながらガムシャラに働いた。
息子が母親がいない事を馬鹿にされない為に料理も母に簡単な物を教わり寂しくない様
なるべく家にいるように心がけた。
息子も気を使ってくれ、俺に文句は一つも言わなかった。
今年息子も中学生なり、だいぶ手が離れ俺はゆとりを持てるようになってきたある日
飲んで帰ってきた時、頭にあの歌が響いてきた。
幻かと俺は思い辺りを見回した。
すると、息子が大音量で物いれから引っ張ってきたリンダリンダを聞いていた。
息子がライブの事を覚えてる訳はないのだが俺はたまらなく悲しくなってきて、家を出て近くの公園で泣いた。
- 881 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/09/06 19:01 ID:ZXug+wTu
- 母の余命が長くても3ヶ月と言われた頃、一週間の休みを貰って地元に帰った。
母の最期の外泊許可が出て姉の家にみんなが集まった。
母は座っているのも辛いようで、ずっと横になってばかりいた。
地元に帰る前、どうしても母の作ったおにぎりが食べたいと思っていた。
最後になるだろう母のおにぎりを味わって食べようと思っていた。
別におにぎりが好きな訳でも、思い出がある訳でもない。
ただ無性に母の作ったおにぎりが食べたかった。
でも横になってばかりいる母を見て、とても言い出せなかった。
3時頃、お腹がすいたので「なんか腹減ったなー」と独り言を
言ったら母は立ち上がり、なんとおにぎりを作り出した。
どこか痛いのか、顔をゆがめながら作ってくれた。
食べながら涙が出てきた。止まらなかった。
甥っ子が俺の方見て「からいの?」なんて聞いてきたら笑いながら号泣した。
母は作り終わった後、相変わらず横になって苦しそうにしていた。
それから2ヵ月後、母は亡くなった。
俺の子供の顔を見ることも無く。
何が言いたいのか自分で分からなくなってきた。
親孝行したい時には親はなし
親孝行したいと気付いた時にはもう遅い
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